ミステリアスな雰囲気が魅力のシンガーソングライターGACKTさん。NHK大河ドラマ「風林火山」や映画「翔んで埼玉」などに出演して演技の才能を開花させるだけでなく、バラエティ番組でも存在感を示しています。とくに「芸能人格付けチェック」において異例の連勝記録を達成していることで有名です。
なにかと話題がつきないGACKTさんですが、若い頃はどのような人物だったのでしょうか。そこで今回はGACKTさんの若い頃にスポットライトを当てつつ、病気や私生活などを解説します。
GACKTの若い頃がカッコいい!
2025年に52歳の誕生日を迎えたGACKTさん。年齢を感じさせない若々しさを維持していますが、若い頃は遥かにイケメンでした。
ヴィジュアル系ロックバンドMALICE MIZERの二代目ボーカルを4年ほど務めていた20代前半は、中世ヨーロッパを彷彿とさせる奇抜な衣装をまとい、ゴシック風のメイクをしていました。MALICE MIZERの世界観を見事なまでに体現したGACKTさんの美しい容姿によってグループの人気が急騰。MALICE MIZER 第2期の2年目となる1997年にはグループが念願のメジャーデビューを果たしました。
突如として独立
MALICE MIZERに所属していた頃のGACKTさんは、私生活でロウソクを照明として使う、18世紀に欧州で流行したロココ様式の家具を揃えると公言。MALICE MIZERの世界観を徹底することで人気と知名度の拡大に貢献し、グループのフロントマンの役割も担っていました。それゆえ突如として失踪・脱退した際には大騒動に発展。「雲隠れ」と大々的に報じられましたが、後のGACKTさんの説明によれば事務所関係者やメンバーとの諍いが絶えなかったため1人で活動することを決断したらしいです。
ソロアーティスト初期
1999年にソロ活動を本格化してからは作詞作曲および編曲の全工程をほぼすべて1人で担当するようになりました。メイクや衣装に関しても本来の自分の持ち味をいかして自己プロデュース。番組出演時にはシルエットがシャープなジャケットとボトムスを主に着用していました。アクセントにシルバーアクセサリーとレンズが独特な色味の眼鏡を組み合わせたスタイリングはGACKTさんのセンスが随所に光り、若者の憧れの的でした。
2000年代にはGACKTさんのスタイリングに酷似した「お兄系」というファッションが若年層の男性を中心に流行しました。
GACKTの代表曲
2000年代から2010年代にかけてヒット曲を連発し、オリコンのシングル売り上げランキングTOP10に入った作品数が男性ソロアーティストの中で最多の記録を保持しています。
ここからはGACKTさんの代表曲をチェックしていきましょう。
「君のためにできること」
出典元:crownrecord
2001年3月に発売された8thシングルの表題曲「君のためにできること」はGACKTさんにとって自身の恋愛観を初めて主体的に書いたラブソングです。切ない感情を丁寧に綴った歌詞と共に、MVも大好評。MV内で憂いを浮かべつつ美しい歌声を響かせるGACKTさんの姿は、令和の若者にも絶賛されています。
ちなみに「君のためにできること」を引っ提げて音楽バラエティ番組「うたばん」と「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」に初出演。トレードマークの眼鏡をはずし、紺碧の瞳を輝かせるGACKTさんの姿は凄まじいカリスマ性を放っていました。
「ANOTHER WORLD」
出典元:crownrecord
2001年9月に発売された9thシングル「ANOTHER WORLD」はGACKTさんのシングルの中で最大の売り上げを記録しているヒット作です。表題曲はバイオリンの旋律とGACKTさんの歌声が融合し、高貴なロックンロールに仕上がっています。同年12月にはGACKTさんが紅白歌合戦に初出場し、この楽曲を熱唱。ファンはもちろんのこと本人にとっても思い出深い1曲でしょう。
「12月のLove song」
出典元:crownrecord
2001年12月に発売された10thシングルの表題曲「12月のLove song」は大勢のファンに支持されている人気作品の1つで、冬の情景を描写した珠玉のバラード。この楽曲をGACKTさんが制作したきっかけはアメリカ同時多発テロ事件と、貧富の差が激しいマダガスカル島で懸命に生きる子供たちとの出会いです。GACKTさんは子供たちが笑っていられる世界であってほしいと思い、恒久平和の願いを込めて制作しました。
さらに日本語版の他、英語・北京語・韓国語で歌唱したバージョンを発表し、歌に込めた想いを世界中に届けています。
GACKTの私生活について
2011年頃にGACKTさんはマレーシアの首都クアラルンプールに移住。もともと寒い時期になると身体の不調を感じていたため、温暖な気候環境に恵まれたクアラルンプールが最適な移住先だったのでしょう。クアラルンプールの一等地で会社を設立し、富裕層向けに物件を提案するなど実業家としての手腕を発揮しています。
その後、変遷を経て2020年末頃に四方を地中海に囲まれた小さな島国マルタ共和国に移住。クアラルンプールに豪邸を残したまま、第2の海外の拠点を作っています。
仮想通貨事業の広告塔に
複数の事業を手がける最中、2017年に仮想通貨SPINDLEを運用する事業への参画を発表し、同事業の広告塔を務め始めました。GACKTさんが「混迷する日本経済を救う唯一の手段が仮想通貨SPINDLE」と公言していたために、SPINDLEの価値を信じて投資する人が続出。
しかし事業の運営母体である会社の不祥事が次から次へと発覚したことにより、SPINDLEの価値が瞬く間に暴落し、大勢の投資家が多大な損失を免れませんでした。ところがGACKTさんは上場直後に売り抜けていたため、「詐欺」と猛バッシングを受けました。
病気の噂は本当?
2026年1月時点(現在)GACKTさんは病気ではありませんが、2021年の夏から2022年の秋まで芸能活動を休止していました。2021年8月、海外から日本に帰国した後に容態が急変し、幼少期からわずらっていた神経系疾患が引き金となって一時は重篤な状態でした。数週間ほど続いた体調不良によって体重が10キロほど減少しました。さらに著しい免疫低下に伴って重度の全身皮膚炎・脱毛症・発声障害を併発。そのため一時は引退を覚悟したものの、ボイトレと幹細胞治療が功を奏し復帰が実現しました。
まとめ
GACKTさんは整形バレバレ芸能人と一部のファンの間で揶揄されていますが、デビュー時からソロ活動25周年に至るまで色あせない魅力を維持し続けています。2021年には引退を覚悟するほどの重篤な状態に陥りながらも、2022年に芸能活動を再開。テレビ番組に出演して元気な姿をみせています。
私生活では多種多様なサイドビジネスに着手しているものの、GACKTさん個人が投資詐欺の被害に遭遇したり、仮想通貨事業が頓挫したりと失敗を幾度も経験。今後の芸能活動だけでなく実業家としての行く末も気になりますね。










